あゆみ
豊中まつりは毎年8月第1週の土・日曜日を中心に市内の公園や広場、市民会館などの文化施設で開催しています。
平成14(2002)年には、約20万人の人出でにぎわいました。
豊中まつりの前身は昭和26(1951)年5月に開かれた第1回豊中商工祭です。
この商工祭ではミス豊中コンテストもあわせて行われており、10月には豊中市制施行15周年を記念して第2回が催されました。その後は、ほぼ毎年1回のペースで行われるようになり、昭和39(1964)年の第11回豊中商工祭を最後に、次の時代の新たな祭りへと姿を変えていったのです。
そして昭和43(1968)年、装いも新たに第1回豊中まつりが始まりました。この時は市民会館(曽根東町3丁目)の落成記念を祝し、第1回民謡カーニバルなども同時開催されています。豊中商工祭から始まった豊中まつりは、この年を契機として徐々に都市型イベントへとさらに姿を変えていきました。
平成4(1992)年からは「いきいき豊中まつり」と名称を変更。豊中青年会議所主催のチビッコカーニバルやポップスコンテストも、まつりの一環として催されるようになり、市内各所の屋内外施設を組み合わせた複合型へと変容していきました。大門公園(北桜塚1丁目)での民謡カーニバル、府営服部緑地公園や大曽公園(北桜塚4丁目)での親子イベント、市民会館(同前)やアクア文化ホール(同前)での市民美術展や音楽フェスティバルなど、多彩な内容で2日間催される現在の豊中まつりの原型ができあがり、豊中の夏を彩る風物詩として定着していったのです。
平成7(1995)年、第28回を数えた豊中まつりは、その年の1月17日に発生した阪神・淡路大震災による市域の被災状況を考慮し、当初は中止も検討されました。しかし、このような時だからこそ市民の元気をもり立てようと開催の運びとなったのです。このときのスローガンは「ひろがれ!元気 ワッショイ!とよなか 明日のわがまち築こう この手で」というものでした。この頃から“市民主体のまつりづくり”の機運が芽生え始めたのです。
こうして、平成8(1996)年には、豊中市の呼びかけでまつり見直しプロジェクト「豊中まつり検討委員会」が発足しました。市役所内に設けられたプロジェクトに豊中商工会議所や豊中青年会議所などの代表が加わり、平成9(1997)年1月に報告書「豊中まつりを考える」をまとめました。「人と文化がふれあうまつり」をテーマに、市民参加によるまつりづくりがスタート。現在に至っています。
●豊中まつりについては「新修豊中市史 第7巻民俗」にも掲載されています。
豊中まつり年表
【豊中まつり生みの親】
・ミス豊中コンテストも開かれていた
【豊中まつり誕生】
・市民会館の落成記念
【都市型イベントへの脱皮~夏の風物詩へ】
- ・チビッコカーニバルなど複合カーニバルに
- ・大門公園で民謡カーニバル、服部緑地も会場だった
【新生 豊中まつり誕生~人と文化がふれあうまつり】
- ・兄弟都市沖縄市との提携イベントに
- ・会場が豊島公園周辺に
- ・豊中ローズ球場ではなみはや国体採火式
- ・来場者3万8千人
- ・沖縄からアジアへ ~市民会館周辺にアジアの食と文化のゾーン誕生
- ・来場者4万1千人
- ・高校野球発祥の地記念イベントはじまる
- ・来場者5万5千人
- ・ロックコンテストをオープニングイベントに
- ・来場者11万2千人
- ・「市民活動ふれあい広場」誕生
- ・来場者18万3千人
- ・初の公募事業「市民発いきいき新体験館」開催
- ・来場者27万1千人
- ・プレイベント「MUSICチャンプルー」を2日間開催
- ・来場者21万5千人
- ・豊中市沖縄市兄弟都市提携30周年
- ・沖縄音舞台開催(プレイベントを吸収)
- ・プログラム
- ・来場者27万7千人
- ・来場者18万7千人
- ・新生豊中まつり誕生10周年
- ・来場者22万6千人
- ・ピースフルラブ・ロックフェスティバル・コンテスト10周年
- ・来場者21万4千人
- ・「I LOVE TOYONAKA」プロジェクト始動
- ・来場者24万3千人
- ・豊中市沖縄市兄弟都市提携35周年
- ・来場者13万8千人
- ・「I LOVE TOYONAKA」ゾーン
- ・来場者14万3千人

